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トコタンのひとり言(open)

No.1921 きょうのいい言葉   ( tokotan. )

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 今日のいい言葉 2004年03月13日(土)
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生きてると色々ある?

色々あるから生きているんだ。
そうでしょ?

(映画「ホテルビーナス」)


私は、この映画をまだ見ていないけど、
投稿でいただいた言葉です。

生きてれば、たしかに色々あるよね。

いいことも悪いことも…

それも生きていればこそ。
感じる心があればこそ。

何も感じない心になったら、
どんなに楽かと思うような経験もあるけど、
それは幸せも感じられないこと。

「こんなことあったら生きていけない」
という経験のすぐ横に、

「こんなことがあるから生きていける」
もちゃんと座っている。

そういうのを見つけるのが楽しいから、
本当は生きていける。
それに気づけるかだけ…なんて断言したら、
言いすぎになっちゃうだろうか。

昨日いろいろあった人も、
今週いろいろあった人も、
どこかの道に通じています…
今は見えないとしても、
そのいろいろの先のいろいろに。

そんな人生を生きていく決心さえ、
あればいいんじゃないかな。

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偶然、さっき、自分の回想法の通信教育のレポートを見てました。

前にも話したけどもっも苦しかった事、それをどう乗り越えたか.....

出したそのままを載せてみます。

 私は、苦しかった事を、すぐに忘れてしまうか、プラス因子に変えてしまう所があります。
その中でも、今でも乗り越えられない苦しい出来事が一つだけあります。
それは15年ほど前の事です。
2月にエジプト旅行に行った父が、帰ってからなんとなく体調不良を訴えました。
以前に痔の経験がある父は、前年よりそんな兆候があったにも関わらず、多分また
再発だなどと自己判断をしていました。
けれども中々症状もよくなりません。
本当に痔ならば、その権威のお医者様に診ていただこうと、母がある専門病院に
連れて行きました。

そして、その病院から検査結果を家族揃ってきて欲しいと言われました。
四月のある日、父母と私たち夫婦は、結果を聞きに行きました。
レントゲン写真を見ながら軽く説明を受けた後、担当医は父にこう言いました。
「どうしますか、これから先もご一緒に聞きますか。それともしっかりした息子さんに
説明しましょうか?」と。

父は「それなら、息子に話しておいて下さい」と少しほっとした顔をして、待合室で
待つ事にしました。

 五分か十分ほどでしょうか。主人が出てきました。その顔を見て、私はただ事では
ない事を感じました。
最も、父は先生の軽いお話で大した事は無いと信じてしまっているので、全く気が
付かなかったようでしたが。

 主人は必死に冷静沈着を装っているようでした。
病名は「直腸がん」人工肛門の可能性が高い位置にそれは出来ていました。
そして、少し進行の進んでいる様子だと。

 その時、私は、こんなに苦しい事がこの世の中にあるのかと思わずにはいられませんでした。
なぜ?真面目に働いて優しい父に?どうして父じゃないといけないの?
世の中にはもっと悪い人がいくらでもいるのに?
自己中心的な自分が一杯に登場しました。
その当時は、まだ本人にがん告知はしませんでしたし、父はただのポリープと信じ
元気そのものでした。

 帰り道、父の好きなお蕎麦やさんに寄りました。
とても食事などする気分にならないのに、必死でお蕎麦を飲み込むのと同時に、
涙も一緒に飲み込みました。
とても苦しい食事でした。

 その後、一月ほど経って、手術の日がきました。
数時間を経て、術後の説明がありました。
恐れていた通りかなりの進行で、人工肛門が取り付けられていました。

父になんて話をしよう、その切り取られたがん細胞を見て、考えあぐねました。
次の日、自分の手で触ってみても、感覚が無かったのでしょう。
父が「人工肛門ではなかったみたい」と嬉しそうに私に話しました。
その笑顔を見ていると、余計に切り出せなくなってしまいました。

 その後、父はきちんと担当医から説明を受け、人工肛門の事は納得したようでした。
そして、その年の冬には孫達をスキーに連れて行く事を楽しみに、治療に専念を
する決意をしました。

その矢先、またガンは再発をし、今度は余命半年という宣告をされました。
その時の苦しさは、言葉に表せないほどの物でした。
その日から、嘘をつく日々が続きました。

「嘘を付くのが嫌いなあなたは、私が嘘をついたといって怒った。
でも分かって欲しい。
人にはつかなくてはならない悲しい嘘がある事を」この言葉がいつも耳から離れませんでした。

それでも、治ると信じて疑いもしない真面目な父。
医師の話もきちんと聞き、言いつけも守り治ろうと努力している父。
そんな父を見ていると自分の苦しさだけに負けている事が小さく思えました。

それからは、考えを変え、元気に明るく振る舞いました。
残された日々をいかに楽しく、有意義に過ごさせてあげられるのかが課題だったように思います。

それから半年後の12月13日、父は永眠しました。
父の死は、私にはどうしても乗り越えられないものでした。

ただ、いつも仏壇の中で笑っている父。
15年も経っているのにいまだに、生きていたらどういったかしら?などと話題に出てくる父。

最後まで父は、自分の病気は治ると信じていたのでしょうか?
聞くことも無いままお別れになってしまいましたが、いつでも前向きに先生や
看護師さんのお話を聞いていた父。
いつも私や孫達の前でニコニコ笑っていた父。
なんだかよくなっていないような気もするんだよなと不安そうに言った父。
色んな父の顔が脳裏に残っています。
そして、父がガンであると宣告を受けた時の苦しさは、今でも乗り越えられたとは言えません。

しかし今では、いつまでも乗り越えられない山で良いとも思っています。
なぜなら、その苦しさを心の中に持っているという事は、人の痛みも理解できる
優しさも備わると信じているからです。

そして、また今日も笑顔で一日を送る事、それが苦しさを少しずつ乗り越えることでは
ないでしょうか?


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ちょっと今日はなぜかしんみりと.....
父を思い出してみたくなりました。
ちーと暗かったかなぁ.....

  トコ








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投稿日時:2004/03/13 19:51:47
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