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トコタンのひとり言(open)

No.3232 「ひかりの世界」   ( tokotan. )

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「ひかりの世界」

絵本作家の「葉 祥明」(よう しょうめい)さんの作品です。

この本は......
10才で亡くなった少年が嘆き悲しんでいる母親の元へ
「ぼくは元気だよ。」と語りかけます。
子供を亡くした人だけでなく、「死」のことを家族で考えたい人、
「死」の姿を知りたい人への大切なバイブル的絵本です。
パステル調の綺麗な世界が絵本いっぱいに広がります。


● ひかりの世界 ●

愛する者をなしくた人、
いのちの永遠性を信じる人、
生きることの意味と人生の目的を
考えるすべての人へ・・・
To those who have lost a loved one
To those who believe in eternity
To all those who think about the meaning and goal of life


ママ、きこえる? ぼくだよ。
みんな げんき?
ぼくは げんきだよ!
こっちに きたら、 ぼくの びょうき、
すっかり なおってしまったんだ。

ここは すごく きれいで、 いいところだよ。
ともだちも いるし、 みんな とても よくしてくれる・・・。
それから、 インコの ピピや いぬの ララ だって いるんだよ!
だから、 ママ しんぱいしないで。
ぼく、 ひとりぼっちじゃ ないからね。

でも・・・・ママたちの ことが きになるんだ。
みんなが すごく かなしんでいるのが わかるから。
だから、 こうして また あいに きたの。
ぼくのこと みえないかも しれないけれど、
ぼくには みんなのことが よく わかるんだ。
こっちからは、 みんなが ほんわりした ひかりに みえる。
ママが かなしんでいると、 かなしそうな ひかりに なり、
ママが よろこんでいると、 あかるく かがやいて みえる。

ぼくが どうやって こっちに きたか、 はなして あげるね。
あのとき、 ぼくは いつもより ねつが あって つらかったの。
そのうち、 いきが くるしくなって、 なんにも わからなくなって、
きが ついたら、 ぼく ベットの となりに たってた。
その ベッドの うえには、 もうひとりの ぼくが、
めを つむったまま うごかないでいた。
そして、 みんなが かなしそうに してるんだ。

どうしようかなあ、 と おもってたら、
どこからか きれいな ひかりが あらわれて、
ぼくに ちかづいてきた。 とても あたたかくって、
やさしい かんじ。 なんだか その ひかりは
ぼくのことを よく しってる みたいなんだ。
そして その ひかりに つつまれたら、
ああ、 うっとりするくらいに きもちが いい。
ママに だかれてた とき みたいに!

よく みると、 その ひかりは とても やさしそうな おんなの ひとで、
ぼくが そっちに いる あいだ、 ずっと みまもってくれてたんだって。
それから、 その ひとと いっしょに、 ぼくの いきてきたことの すべてを
まるで ビデオを みるように、 ふりかえってみたんだよ。
うれしかったこと、 かなしかったこと、 じぶんの きもち、 ママや みんなの
きもち、 ピピや ララや ともだちの ことなんか ぜんぶ!
みじかい あいだに、 こんなに いろいろな ことが あって、
こんなに たくさんの ひとたちと であったんだなあって、
ぼくは なんだか むねが いっぱいに なってしまった。
ひかりの ひとは そんな ぼくを みて、 にっこり ほほえんで こう いったの。
「さあ、 ついてらっしゃい!」

ひかりの ひとに ついていくと、
かわいい はなが たくさん さいている おかに でた。
とても きれい!
ひかりの ひとは うれしそう。
ぼくも たのしくなって、 おかのうえまで かけだした。
そう、 おかも はやしも やまも かわも、
みんな きらきら ひかって、 とても あかるいんだ。
すてきな おうちも あって、
いろんな ひとたちが ゆったりと くらしている。
こんな ところが あったなんて、 しらなかった。

ひとに いじめられたり きずつけられたりした どうぶつたちが
あつまっている のはらも あったよ。 げんきを とりもどして、
なかまたちの ところに かえれるようになるまで、
どうぶつが だいすきな ひかりの ひとたちに、 たいせつに
せわしてもらってるんだ。
それから、 いきものを ひどい めに あわせた ひとは、 こっちに くるとき
じぶんも その どうぶつと おんなじ くるしみを けいけんするんだって。
それで、 じぶんが どんなに ひどいことを したか、 に きづくんだ。
じぶんが されて いやな ことは、 ほかの ひとにも、 ほかの いきものにも
しちゃ いけないってことだね。

つぎに つれてって もらったのは、 とても しずかで やすらげるびょういんみたいな ところ。
ほんとは こっちに くると、 びょうきも けがも なおって
しまうんだけれど、 そっちに いるとき、
いっぱい くるしんだり つらかったりした ひとは、
ここで ゆっくり やすむんだ。
そうすれば、 どんな くるしみも かなしみも いつかは きれいに きえ、
いのちの よろこびだけが わきあがって くるんだ。

こうえん みたいに きれいな まちが あって、
としょかんや、 げきじょうや、 びじゅつかんも あるんだ。
それから、 がっこうも あったよ。
そこでは、 ひかりの せんせいの はなしを、
みんな いっしょうけんめいに きいていた。
ここでは そっちの がっこうと ちがって、
いのちの いみや、 いきることの もくてき、 あいするってこと、
ちきゅうや うちゅうの ことなんかを まなぶんだ。

ぼく わかったよ!
ひとも どうぶつも くさも きも むしも、 いしころだって ほしだって、
みんな おなじ いのちを いきていて、 おたがいに たすけあい、ささえあって いる。
だから、 じぶんが ほかの ひとや いきものに していることは、ぜんぶ じぶんに してるのと おんなじだって。
それから、 くるしいことも うれしいことも、 かなしいことも ひどいことも、
みんな、 そのとき そんなふうに みえたり、 かんじたり するだけで、
すべては かわっていく とちゅうの すがただってこと。
そう、 うちゅうも ちきゅうも ぼくたちも、
へんかしながら、 おおきな いのちの みなもとに むかって、
かぎりなく せいちょう しつづけているって ことなんだ!

ママ、 これは ないしょだけど、
うまれかわるときは みんな、 ここの ことや まえの ときの ことを
わすれるように なってるんだよ。
だって、 まえの ことを おぼえていたままじゃ、
あたらしい ことを おぼえたり、 したり できないでしょう。
それから、 どうして ぼくが ママたちと ながく いられなかったのか、こっちに きたら ぜんぶ おもいだしたんだよ!
そう、 ぼくは そうしなくちゃ いけなかったんだ。
ぼくじしんの ためと、 みんなの ために・・・・。

ぼくは からだが よわくて、
あちこち いたかったり、 ねつが でたりしたけれど、
それで、 つらい きもちの ひとたちや、 くるしんでいる
ほかの いきものの きもちが とても よく わかった。
やさしさや おもいやりの たいせつさ、
いきているってことの すばらしさも しることが できた。
ぼくが みんなと いたのは、 ほんの みじかい あいだだったけれど、
ぼくは いっしょうけんめいに いきた。 みんなも とても よくしてくれた。
だから、 おたがいに こんなにも ふかく かんじあうことが できたんだ。
たいせつなのは ながさではなく、 どんなふうに いきて、
なにを かんじたか なんだよ!

こっちに もってくることが できるのは おもいでだけ。
どんなに みんなを あいし、 そして あいされたか。
ママは ぼくを いっしょうけんめいに せわすることで
こころから あいするってことを まなんだ。
つぎは、 その あいを ぼくや かぞく だけでなく、
もっと たくさんの ひとたち、 せかいじゅうの こどもや
すべての いきものに ひろげることが、
ママの これからの ほんとうの しごとなんだよ。
そのために ぼくは ママの ところに やってきたんだ。
だから、 ぼくが はやく こっちに かえってきちゃったからって、それは むなしいことじゃ ないんだよ。
それは はじめからの やくそく だったんだから。
ぼくと ママとの あいだのね。

ママに みてもらいたい ところが あるんだ。
そこは、 ゆめのように きれいな ところなんだよ。
たくさんの こどもが たのしそうに あそんでる。
みんなは もういちど そっちに うまれるのを まってるんだ。
なかには いのちの はかなさや たいせつさを おおくの ひとに
おしえてくれる、 とくべつの やくめが ある こどもも いるんだよ。
でも、 ほとんどの こどもたちは、
まえの じんせいで やりのこしたこと、
やらなくちゃ いけないことが あるから、
じぶんの もくてきに ぴったりの おやや きょうだい、 じだいや くに、 まち、
それから、 おんなのこに うまれるか、 おとこのこに うまれるか、
どんな からだが ふさわしいか、 どのくらい そっちに いれば いいのか、
そして どんなふうにして こっちに かえってくるのか、 を
ひかりの ひとたちと そうだんして きめて、 うまれかわるんだ。

そんなふうにして、 ぼくも ママも みんなも、
それぞれの もくてきを もって うまれ、
いきてる かぎりは いっしょうけんめいに いき、
それを やりおえて、 ようやく こっちに かえってこれるんだ。
でもね、 つらいからって、 じぶんで かってに かえってきちゃ だめなんだよ。
つらい きもちのまま こっちに くると、
その つらさが そのまま つづくからね。
どんなに つらくても、 みんな じぶんが たえられるだけの くるしみしか
あたえられて ないんだ。
それに、 めには みえなくても
かならず ひかりの ひとが ついてくれていて、
けっして ひとりぼっちじゃ ないんだから、 だいじょうぶ!

ママ、 わかった?
ぼくたちは みんな、 やりのこしたことを やるために、じぶんの みちを じぶんで えらんでたんだよ。
ただ、 そのことを わすれてる だけなんだ。
ぼくたちは こうして まなび、 せいちょうして、 すこしずつ
ひかりかがやく すべての いのちの みなもとに ちかずいて いるんだ。
いのちは えいえんに つづく もの。
ただ、 いきる せかいが かわっていくだけ。
だから、 ママたちには みえなくても、 ぼくは いきている。
もうひとつの せかい、 うつくしい ひかりの せかいで。
ママと いつか もういちど あうのが たのしみだな。
でもね ママ、 ぼく、 こっちでも せいちょう してるんだよ。
こんど あったら、 きっと びっくりするよ!

ママ、 ぼくを うんでくれて、 ほんとに ありがとう!
パパ、いつも あそんでくれて、 ありがとう!
それから、 おじいちゃん おばあちゃん、 ぼくは ふたりが だいすき!
びょういんで ぼくを やさしく なでて くれたね。
ふたりの ぼくへの あいは、
このよで いちばん じゅんすいな あいだったよ!
でもね、 もう かなしまないでね。
ぼくたちには わかれなんて ないんだから。
かならず もう いちど あえるし、
おもいだしてくれれば いつでも ぼくは あらわれるし、
そらや たいよう、 はなや いろいろな いきものの なかにだって、
ぼくは いきている。 なぜなら、 ママも ぼくも、 みーんな もともと
ひとつの おおきな おおきな いのちの いちぶ なんだから。

※佼成出版社 『ひかりの世界』葉 祥明 さん 絵・文 より紹介させていただいています。


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この本は、小さくして亡くなったおこさんの言葉ではあるけど......
大切な人を亡くした方、今、色々な振り返りをしたい方......
何か心に響きます......

一度、北鎌倉の記念館にいってこようと思います。
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投稿日時:2007/08/29 08:48:41
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